1 人身傷害保険とは
⑴ 特徴
人身傷害保険とは、自動車事故によって傷害を負った被害者が、加害者の賠償責任の有無にかかわらず、自ら加入する保険契約に基づいて保険金の支払いを受ける保険です。加害者加入の対人賠償保険や対物賠償保険と異なり、自身で加入する保険会社に対して保険金の請求を行うことになります。この人身傷害保険の加入率は約7割程度といわれていますが、自身が人身傷害保険に加入しているか把握できていない方もたくさんいらっしゃるので、自身にも過失がある交通事故で怪我を負った場合には、人身傷害保険の加入状況を確認することが必要になります。
人身傷害保険は、自身の過失の有無にかかわらず(過失相殺を受けることなく)、保険金の支払いを受けられることが大きな特徴です(ただし、故意または重大な過失がある場合には免責される可能性があります。)。そのため、当方の過失が大きいことなどを理由に、事故相手(が加入する保険会社)が治療費の支払いを拒むようなケースであっても、人身傷害保険を利用して、治療費や休業損害の支払いを受けることが可能となります
もっとも、支払われる人身傷害保険金の金額は約款によって定められており、いわゆる裁判基準(裁判所が認定する損害額)よりも低額であり、上限が定められていることもあります。
2 人身傷害保険と損益相殺
⑴ 損益相殺とは
損益相殺とは、交通事故によって被害者に損害が発生すると共に利益が生じる場合に、被害者の損害額から得られた利益を差し引くことです。
詳しくは「交通事故⑬ 損益相殺」をご参照ください。
⑵ 人身傷害保険と加害者への賠償請求の関係(順序)
自身が加入する人身傷害保険と事故相手が加入する対人賠償保険のいずれに対して先に請求するかは、被害者自身で決めることができます。まず人身傷害保険金を請求し、その後に対人賠償保険金を請求することを「人傷先行(じんしょうせんこう)」といいます。一方、まず対人賠償保険を請求し、その後に人身傷害保険を請求することを「賠償先行」といいます。
明らかに事故相手の過失の方が大きければ、通常、事故相手が加入する任意保険会社が治療費を支払ってくれるため(「一括払い対応」といいます。)、先行して人身傷害保険金の請求を行うことは少ないように思われます。
しかし、過失割合が同程度であったり、事故相手が対人賠償保険を利用することを嫌がったりしている場合には、自己相手が加入する任意保険会社が一括払い対応を行わないため、当面の治療費支払いの負担が生じてしまいます。そのような場合には、自身が加入する人身傷害保険金を先行して請求することになります。
⑶ いずれを選択すべきか
被害者にも過失がある場合、人傷先行の場合と賠償先行の場合で、被害者が獲得できる賠償金額に差が生じるのでしょうか。人身傷害保険金は自己過失分についても支払われるため、支払われた人身傷害保険金の損益相殺の仕方によって、結果に差が生じるのか問題となります。
【人傷先行の場合】
最高裁平成24年2月20日判決は、人身傷害保険金を支払った保険会社は、支払った保険金の額と過失相殺後の損害賠償請求権の額との合計額が裁判基準損害額を上回る額の範囲で損害賠償請求権を代位取得すると判断しました(裁判基準差額説)。難しい内容ですが、簡単に言いますと、被害者が裁判基準損害額100%の回収ができた場合に初めて、人身傷害保険金を支払った保険会社は被害者の権利を代位取得(代わりに取得すること。)できると判断しました。
これにより、被害者は、自身に過失があっても、裁判基準損害額を満額回収できることになります。
【賠償先行の場合】
通常、人身傷害保険の約款には、賠償先行の場合、人身傷害保険の基準に従った損害額(人傷基準損害額。一般的に裁判基準損害額よりも低額です。)から、加害者加入の保険会社から受領した対人賠償保険金を差し引いて人身傷害保険金を支払う旨規定されています。そうすると、人傷基準損害額(<裁判基準損害額)の満額回収しかできない可能性があります。
しかし、これでは人傷先行と賠償先行で回収できる額に差が生じてしまうため、人身傷害保険で導入されたのが「読み替え規定」です。読み替え規定により、賠償先行の場合でも、人傷基準損害額ではなく、裁判基準損害額から受領済みの対人賠償保険金を差し引いて、人身傷害保険金を支払ってもらうことが可能となります。ただし、この読み替え規定が適用されるためには、判決を得るか、裁判上の和解を成立させることが条件となります。
⑷ まとめ
これまでに述べたとおり、人傷先行と賠償先行のいずれの場合でも、一定の条件を満たせば、被害者に過失がある場合であっても、裁判基準損害額の100%の回収を実現することが可能となります。
ただ、注意が必要な点もあります。まず、人傷先行の場合、人身傷害保険金を回収した後に、加害者加入の対人賠償保険に対して最高裁の採用した裁判基準差額説を前提とする請求を行ったとしても、「訴訟基準差額説はあくまでも訴訟を提起した場合の取り扱いである。」との対応を取られ、100%の回収が実現できないことが多いと思われます。そうなると、100%の回収には訴訟提起が必須となります。また、上述のとおり、賠償先行の場合も、読み替え規定を適用するためには訴訟提起が必要となります。
このように、被害者に過失があるにもかかわらず裁判基準損害額の100%の回収を実現するためには、訴訟提起がほぼ不可欠になります。訴訟となると、短くても半年程度以上の時間が必要となり、交渉から訴訟移行段階で追加の弁護士費用も必要となります(弁護士費用特約があれば経済的負担は生じないことがほとんどですが。)。そのため、時間がかかってでも100%の回収実現を目指すか、100%の回収は諦めて早期解決を目指すかの選択を求められることになります。
このような判断には専門的な知識が必要となるため、交通事故事案に習熟した弁護士へ相談されることをお勧めいたします。
以 上
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